喜寿

高校を卒業して地元を離れて熊本で一人暮らしを始めた18歳
・・・計算してみるともう25年になる
もちろん帰省で地元に帰るときは実家に泊まるのでそんなに地元を離れているという感覚はなかったのだが。

昨日、父は喜寿(77)を迎えた

そんな節目の誕生日を迎えていたのに、息子である自分はプレゼントの1つも贈らずに電話だけ
父も自分の誕生日に気づかなかったようで、孫と嫁(妻)から「誕生日おめでとう」の電話を喜んでくれた

父は、父が中学生になる頃に父親(祖父)を亡くした。
祖父から父は「お前は大学に出してやる」と言われ可愛がられていたそうだが、祖父を亡くしたことで高校にもいかずに働きにでたそうだ。
住み込みで働き、18歳の頃には既に公民館などの施設を現場監督として任されていたそうだ。
その後、勤めていた会社の景気が悪くなり大手企業の採用試験を受けた際も、中卒だったにも拘わらず、高卒、大卒に交じって東リに合格したほど頭もよかった。(採用はわずか3名だったのに100名くらいが応募していたとか)
結局は母親の近くに住むために断ることになったそうで、しかしながら父は東リで働いてみたかったという話を子供の頃に聞いたことがある。

結局は地元から通える住友金属に勤め、その後独立。
結婚して10年子供が授からず、やっと授かった子(兄)が病気で赤ちゃんで亡くなり、その後に生れたのが私である。もっと早く生まれていたら独立せずに住友金属に勤めたままだった…そうである。

独立後、景気が悪くなり思ったほどの成功は出来なかったそうだ…
それでも技術があるためか、工事の依頼はあったらしく忙しく仕事をしていて、あまり遊びに連れて行ってもらったという記憶は少ない。

とにかく仕事が出来て頭もキレる。ちょっと短気で喧嘩っ早いところはあったけど小さい頃から尊敬している父。
そんな父もかなり歳を取った。最近は耳が遠くなり、膝も悪い。また記憶力も衰えているのに
いまだに現役…父はもう辞めたいと言うのに引退させてもらえないそうで…
本人は「もうつまらん」というのだが・・・


今度の息子の中体連(6/9予定)には休みを取り、都城に見に来るそうである。
その時にでも喜寿のお祝いみたいなことをして親孝行のまねごとが出来ればと思う
都城市にある美味しい店に予約を入れることも検討してみようか。(山王や魚幸、北諸あたりに聞いてみよう)