今日は早起き

なんたって4時に起きて、5時からの朝の会に出席してきましたからね~。

倫理の朝の会に素晴らしい方が来ているので、「騙されたと思って来たら良いよ」
と妻が言われたそうです。

これを聞いたのは昨夜の23時。しかも私が1人お風呂を入っている時。

つまり4時間弱睡眠で参加してきましたよ~。

(これ限定の方が良かったかな^^;)


元勤務先が倫理法人会に入っていたので大体の会の流れは知ってました。
なのであの独特の輪唱などに違和感はありませんでした。

講師の方の講和も短い時間なのにうまくまとめていて良い話だったと思います。



・・・しかし、

「倫理の会に入会するか?」となるとそれはまた難しい問題で。


朝寝が好きな私だからってわけだけでなく、、、
「教え」がかかれた本などを読むと私の考えに合わないところが時々、出てくるのです。

どうやら、、私は頑固なようで、言い回しとかが気になるらしい。


例えば今朝、机に置かれた「一枚の紙」

そこに、努力こそ全てといったような教えが書かれている。

「何事も努力なくしては成功しないし、努力を続けるから成功するのである。」

まぁ、そういったことが書かれていた。
至極もっともなことである。もっともであることは理解できる。


しかし私は「努力」という言葉自体が、日本の教育上の概念で「苦労、苦難」と同意義のように扱われているように感じていたのであまり好きな言葉でない。

とはいえ、その「教え」が言いたいことはわかるつもりである。

その努力に苦しいイメージを付け足すことなく、信念を持って継続すること。
又、信念を持って取り組むことが大事ということを言いたいのだと思う。

時には、苦難というか、挫折のようなものもあるでしょう。しかし、苦難を苦難として捕らえず、「チャンスだ」と捉え、信念を貫く。

そういう意味では同感である。

しかし、私は倫理に使用される「言葉」が合わない。

私が合っていると感じるのは「天風哲学」のように、苦しみを苦しみと思わず、喜びとする。
そういう「人生は心1つのおきどころ」的な言葉の遣い方のようである。

倫理も積極的ではあるけど、もっともっと楽しい、愉快な表現が私にはスッと胸に落ちる。

あくまで1例であるが、「努力」(というより努力という言葉の教えられた意味)
前向きな言葉なのであろうが、私には合わないようである。

ちょっと急いでいるので(ゴミ捨て^^;)また改めて、、感じたことを書こうと思う。